脱水に起因する肺炎による死亡事故

平成27年7月16日判決 東京地方裁判所
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさんの相続人
被告(訴えられた側) 特別養護老人ホームXと、Xの施設長
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断)
特別養護老人ホームX、Xの施設長への損賠賠償請求を認めない。
事故当時の原告の状態
Aさん・86歳
・要介護度5
・脳梗塞後遺症の右片麻痺。
・入所の約半年前に急性腎盂腎炎で入院。回復し、食事(ミキサー食)もとれるようになったので特別養護老人ホームXに入所した。
事故の経緯
・嘔吐をきっかけに食事・水分摂取量が減ったため、輸液(点滴)治療を行った。
・輸液治療の20日後に発熱して救急搬送され、肺炎、脱水、尿路感染と診断されて入院。
事故後の原告の状態
・1カ月の入院後、死亡
判決の内容
事故の状況は……
ある日の嘔吐をきっかけにAさんの食事・水分の摂取量が減ったため、Xの嘱託医が輸液(点滴)治療を行った。しかし、その後も食事・水分の摂取量は戻らず、輸液治療の約20日後に38.5度の発熱が見られた。
嘱託医が酸素投与、輸液を行ったが呼吸状態が悪化したため、病院に救急搬送された。病院では「肺炎、脱水、尿路感染」と診断され、入院することになった。
約1か月の入院後、同病院で死亡した。直接の死因は肺炎であり、発病から死亡までの期間は38日間とされた。
原告の意見
Aさんの相続人は、①~②を理由に、特別養護老人ホームXと施設長に対して1250万円の損害賠償を請求した。
①Aさんの脱水の症状を見落とし、必要な措置を講じなかった
②脱水によって体力が低下していたことを考慮し、肺炎等の感染症を予防するため、衛生面に下記のような注意を払って次のような措置を講じるべきだった。
・食事後の口腔洗浄や手足の消毒
・入浴又は清拭
・衣服の洗濯・交換
・個室への移動
裁判所の判断
●脱水とAさんの死亡との因果関係について
一般に、感染症は脱水の進行に伴って想定される典型的な事態である。Aさんの肺炎(肺炎桿菌によるもの)の発症についても、脱水の影響を否定できる事情は認められない。肺炎桿菌の感染時期や感染経路等を特定することはできないが、脱水またはその手前の体の水分が不足している状態で、吐き出しにくくなった痰に細菌が感染・増殖したと考えることもできるためである。
Aさんの死因となった肺炎の感染・発症には、脱水症またはそれに近い状態になったことが深くかかわっていると考えられる。そのため、脱水症とAさんの死亡との間には因果関係があるといえる。
●高齢者の体の状態と脱水の影響について
一般に、高齢者は①~③のような理由で脱水を起こしやすい。
①筋肉量が少ないため、体内に蓄積される水分量が少ない
②感覚機能が低下してのどの渇きをあまり感じなくなり、水分摂取量が減少する
③腎機能の低下
とくに病院や施設で長期間生活する高齢者については、①~③の影響が強まるため、さらに脱水のリスクが高まる
脱水を起こすと、微熱などの症状に加え、感染症や心・腎・呼吸不全を発症する可能性がある。さらに悪化すると意識障害や、血圧の大幅な低下などが見られるショック状態に陥り,最終的には死亡に至る場合も考えられる。
●介護施設の責任について
介護施設の運営者や介護職員は、脱水のリスクを十分認識したうえで、入所者が脱水を起こさないように食事・水分の摂り方を適切に管理する注意義務を負っている。
とくに食事等の状態によって脱水のリスクが高まっている入所者については、バイタルサインの測定等によって症状を見落とさないよう注意に注意する必要がある。
また、脱水の症状が認められたり水分補給が難しかったりする場合は医師の診察を受けさせるなど、重症化を防ぐ配慮をする注意義務を負っている。
特別養護老人ホームXでは、食事以外に1日4回・各200mlの水分補給を目標としている。食事の際に摂る水分を加えると1日に1000mlを超えることが予想されるため、脱水を予防するための措置としては十分といえる。
Xの職員は上記の目標に応じて各入居者に食事・水分の摂取を勧めており、介護記録にも記載して看護職員や栄養士を含む職員間で共有している。
同時に、水分補給が十分でない入居者については、看護職員への相談や嘱託医の受診を行い、38.5度以上の発熱や呼吸状態の悪化(痰が絡むなど)、食事が摂れない等の症状が見られる場合は嘱託医の往診を待たずに病院を受診することになっている。
Aさんに対してもこうした段階的な措置がとられており、脱水症の予防・対応に関する注意義務は尽くされていたといえる。脱水の早期発見に必要な、食事・水分の摂取割合の確認、バイタルサインの測定、排尿状況の観察も行われていた。
Aさんが、特別養護老人ホームXに入居中に肺炎桿菌に感染したことは疑いない。しかし、Xでは食事後の口腔洗浄や入浴、衣服の洗濯・交換、個室への移動が適宜行われていたことが認められるため、注意義務違反は認められない。
住宅型有料老人ホームでの転倒事故

令和2年7月3日 東京地方裁判所 判決
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさん
被告(訴えられた側) 住宅型有料老人ホームX
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断) 住宅型有料老人ホームXの責任を認めない。
事故当時の原告の状態
Aさん 女性・88歳
・要介護3
・食事は自立、排泄も終日自立。
・歩行が小刻みになり、歩行器を貸与されていた。
・事故1カ月前の医師による居宅療養管理指導書には「転倒に注意が必要」と記載があった。
事故の経緯
・歩行器で洗面所へ移動し、歩行器から手を離した際、洗面台をつかみそこねて転倒した。
事故後の原告の状態
右大腿骨転子部を骨折し、常時介護が必要な状態となった。
判決の内容
事故の状況は……
入所時のAさんは歩いて移動することが可能で、障害高齢者の日常生活自立度はJ2、認知症高齢者の日常生活自立度はⅡaだった。
入居後、歩行が小刻みになったため、住宅型有料老人ホームXが連携する医師の診察のもと、住宅型有料老人ホームXから歩行器が貸与された。
Aさんの居宅サービス計画は「歩行が不安定で今までのように歩けないが、可能な限り自分でできることは自分でしたい」と変更された。
事故1カ月前の医師による居宅療養管理指導書には、「転倒に注意が必要」との記載が加えられた。
住宅型有料老人ホームXには居宅介護支援事業所も設置されており、Aさんと介護支援契約も結んだ。
Aさんは起床後、居室を出て、数十メートル離れた共同トイレまで歩行器を使用して歩いて行った。
トイレで用を済ませた後、歩行器を使用して歩いて居室まで戻り、居室内の洗面所で手や顔を洗おうとした。
その際、歩行器から手を放し、洗面台をつかもうとしたが、つかみ損ねて転倒した。
裁判所の判断
Aさんは歩行以外の日常生活は自立傾向にあり、認知症の程度も重くなく、日常生活に支障はなかった。
歩行器を使用することで問題なく移動ができ、介護士などによる歩行介助は必要ではなかった。
そのため、住宅型有料老人ホームXには、Aさんが歩行器を使用する際にナースコールで介護士等を呼ぶように指導する義務までは認められない。
また、Aさんは歩行器を貸与され、それによって問題なく移動できるようになっていたので、住宅型有料老人ホームXには、Aさんの居室に離床センサーを設置する義務も認められない。
歩行器を貸与する際、住宅型有料老人ホームXは、Aさんの体格に合わせて歩行器のサイズを調整し、X所属の機能訓練士が使い方を教えていた。
このことから、住宅型有料老人ホームXはAさんに対し、歩行器を使用するにあたって適切な指導をしたと考えられる。
従って、住宅型有料老人ホームXに注意義務違反は認められず、不法行為は成立しない。
入浴介助のための着替えの際の骨折

東京地裁 平成29年8月25日 判決
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさん
被告(訴えられた側) 住宅型有料老人ホームX
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断)
住宅型有料老人ホームXが、Aさんに入院費、後遺障害慰謝料として119万円支払う。
事故当時の原告の状態
Aさん 女性・91歳
・要介護5
・重度の骨粗しょう症
事故の経緯
・Aさんは、住宅型有料老人ホームXをショートステイで利用した。
・初めての入浴時、介護職員がセーターを脱がせようとした際、左腕を骨折した。
事故後の原告の状態
・左上腕骨骨折で入院。
・左肩に可動域制限が生じた。
判決の内容
事故の状況は……
ショートステイでの初めての入浴の際、セーターを脱がせるために介護職員がAさんの両腕を上に上げた。その動きが原因で、Aさんは左上腕骨を骨折した。
介護職員は、訪問介護員2級養成研修課程(ホームヘルパー2級)の研修課程を修了している。
裁判所の判断
有料老人ホームの職員には、入居者の身体状況や傷病の有無などに注意しつつ、入居者にけがを負わせないように入浴介助を行うべき義務があった。
職員は、①Aさんが骨密度の低下等により骨折しやすいこと、②とくに骨粗鬆症の場合には上腕骨近位部(二の腕~肩のあたり)を骨折しやすいことを踏まえ、入浴介助の際には、腕を持ち上げない方法で衣服の着脱を行うよう注意するべき義務があった。
裁判所では、訪問介護員2級養成研修課程を修了した者であれば、「91歳の女性」は、性別と年齢から、骨密度の低下等を合理的に疑うことができると判断している。
①Xが高齢者介護を専門とする有料の施設であること、②介護職員が訪問介護員2級養成研修課程を修了していることの2点から、Xにおける介護従事者が、親族が自宅内で高齢者を介護している場合と同じ程度の注意義務を負うにとどまるということはできない。
自宅前の階段からの転落による死亡事故

福岡地方裁判所 平成28年9月12日判決
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさんの遺族
被告(訴えられた側) 特別養護老人ホームを経営する社会福祉法人X
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断)
社会福祉法人Xには、安全配慮義務違反の債務不履行責任が成立するため、入院慰謝料及び死亡慰謝料150万円、逸失利益100万円など、合計1762万円の損害を認める。
その上で3割の過失相殺を行い、社会福祉法人Xは、Aさんの遺族に1233万円を支払う。
事故当時の原告の状態
Aさん 女性・100歳
・要介4
・左目を失明し、右目の視力も目の前が見える程度。
・骨粗しょう症を発症していた。
・歩行時は前傾気味。4点杖を使って歩行しても転倒するリスクがあった。
事故の経緯
・Aさんは社会福祉法人Xの施設をショートステイで利用。職員による送迎で帰宅した。
・当日は雨が降っており、Aさんが自宅前の階段を上る際、担当職員が介助していた。
・担当職員の指示で杖を放し、階段の手すりをつかもうとした際、バランスをくずして後ろに倒れた。
・そのまま道路に転落し、後頭部を強打した。
事故後の原告の状態
出血を伴う脳挫傷などの重傷を負い、入院中に死亡した。
判決の内容
事故の状況は……
Aさんの自宅には、アスファルト製の道路から玄関まで、コンクリート製の階段がある。下から10段上ったところに踊り場があり、階段が直角に曲がっている。道路から踊り場までは左側に手すりがあり、踊り場より上には椅子式昇降機が備え付けられている。
当日は雨で、介助する担当職員はAさんの右斜め後ろに立ち、右手でAさんの右脇の下を支えていた。
道路から階段を2段上がったところで、職員が「ここからは手すりだけで上りましょう」と伝えた。
Aさんは右手に持っていた杖を離し、階段の左側にある手すりをつかもうとした。
杖が進行のじゃまになりそうだったため、担当職員は自分の右手をAさんの右脇の下から離し、Aさんから目を離して杖を右上に動かしたところ、Aさんがバランスを崩して後ろに倒れ、職員の左腕の下をすり抜けるようにして道路に転落した。
裁判所の判断
Aさんは100歳に達している高齢者で、骨粗しょう症のために骨折しやすくなっていた。さらに、足の筋力の低下や視力の悪化により、歩行中に転倒する恐れがあった。
これらを踏まえると、Aさんは雨の中で自宅前の階段を上る際、手すりを握り、杖を使用していたとしても、体を適切に支えられていないとバランスを崩して転倒する可能性があった。
転倒すると、固い階段や路面に体を打ち付けて骨折等の重傷を負う危険性が常にあることは、社会福祉法人、また担当職員も予見(前もって推察)することができたといえる。
つまり担当職員は、Aさんが自宅前の階段を上る際は常に見守り、適切に体を支えて、バランスを崩して転落しないようにする義務を負っていた。
①担当職員がAさんから目を離し、右手を女性の右脇から離した。
②担当職員がAさんの真後ろに立っていれば転倒した際の転落を防げたのに、斜め後ろに立っていた。
上記2点のために、Aさんはバランスを崩して転落した。
社会福祉法人には、安全配慮義務違反の債務不履行責任が成立する。
トイレでの転倒死亡事故

平成31年3月14日 津地方裁判所 判決
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさんの遺族
被告(訴えられた側) 特別養護老人ホームX
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断)
Xは、死亡慰謝料2000万円を含む2207万円の損害賠償をAさんの遺族に支払う。
事故当時の原告の状態
Aさん 女性・92歳
・要介護4
・認知機能が低下しており、自分がいる場所や少し前にしていたことがわからない状態。
・歩行、寝返り、起き上がりができない。
・車いすの移乗に介助が必要で、日常の移動は職員が押す車いすで行っていた。
事故の経緯
・職員はAさんを個室トイレの便座に座らせ、個室内の手すりと開いたスライドドアを持たせてその場を離れた。
・Aさんはトイレの個室内で転倒し、頭部を打った。
・Aさんが転倒した際、見守っている職員はいなかった。
事故後の原告の状態
・右頭部に急性硬膜下血腫の障害を負い、治療のために入院。
・全身状態が悪化し、およそ3カ月後に死亡した。
判決の内容
事故の状況は……
Aさんは、10名のユニット居室で生活しており、事故のあったトイレはその居室内にあった。
職員はAさんをトイレの個室に誘導して便座に座らせたが、ケアに必要なタオルが手元にないことに気づき、倉庫まで取りにいった。
その際、Aさんを便座に座らせたまま、左手で介助棒(手すり)を、右手で開いた状態の個室のスライドドアを持たせた。
ドアは開いた状態にしたが、他の職員が見守ってはいなかった。
職員がその場を離れている間に、Aさんはトイレの個室内で転倒して頭を打った。
事故当時のAさんの体の状態は……
◆事故9カ月前(Aさんの入所時)
フェイスシート、アセスメントシートに、「転倒に気を付ける」よう注意喚起する記載があった。
◆事故8カ月前
看護・介護サマリーに、「手すりなどにつかまると、立位可」「先月に2回だけ、ベッドに端座位になっていたことがある」と記載があった。
◆事故6カ月前
介護認定調査票の「1 身体機能・起居動作に関連する項目」には「両下肢 20度以上は拳上できない。歩行はできない。円背がある」「寝返り、起き上がりできない」「車椅子の背もたれに支えられ、座位保持する」「職員が腰と体を支えると両足立ちできる」と記載があった。
同調査票の「2 生活機能に関連する項目」には「職員が腰を掴み移乗している」「車椅子を使用し、職員が押して移動している」との記載があった。
裁判所の判断
寝返りや起き上がりもできず、歩行もできない状態だったことをふまえると、Aさんは立ち上がろうとしたときにバランスを崩して転倒したか、便座に座った状態から、何らかの理由でバランスを崩して転倒したと考えられる。
看護・介護サマリーの記載内容や認知機能の状態から、担当職員には、自分のおかれた状況を理解できないAさんが突発的に立ち上がろうとするなどし、バランスを崩して転倒する事故が発生することを予見(前もって推察)することが可能であったというべき。
介護施設の職員は、高齢の入居者に対して転倒やけがを防止する注意義務を負っている。担当職員は、Aさんをいったん、転倒の心配のない場所に移動させるなどすることも可能だった。
そのため、Aさんを不安定な姿勢で便座に座らせたままその場を離れ、見守る者がいない状態にしたことには過失が認められる。
医師の診察を受けさせるかどうかの判断

東京地裁 平成31年1月30日 判決
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさんの遺族
被告(訴えられた側) 介護施設X
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断) 損害賠償請求を認めない。
事故当時の原告の状態
Aさん 女性・86歳
・脳梗塞の後遺症で、意思の疎通に大きな制約がある。
・食事・水分補給は自立で可能。食事は常食で、朝食はパンを希望。
・入所前日に、「夕食を食べすぎた」として2度嘔吐している。
事故の経緯
・同居家族が海外旅行をするため、ショートステイで施設を利用。
・入所1日めは食欲不振で、1度嘔吐。看護師の指示で経過観察。
・入所2日めは体調が安定し、施設提携の医師が急性胃炎の薬を処方。
・入所3日め、早朝に嘔吐。意識障害はなく、バイタルサインも安定していたが、数時間後に容体が急変した。
事故後の原告の状態
救急搬送したが、病院到着前に心肺停止。
判決の内容
事故の状況は……
◆入所1日め
Aさんは胃痛を訴えて昼食も間食もとらなかった。看護師が家族に連絡してAさんの様子を伝えると、家族からは「以前、胃痛を訴えた際、2日間何も食べなかったことがあった」「危篤時以外、連絡は不要」という返答があった。
午後6時30分頃、夕食のおかゆを3口食べ、お茶を約50ml飲んだ。
午後10時50分頃、Aさんが居室から出ていた。職員が部屋を確認したところ、ベッドに液状のチョコレート色の嘔吐物があった。職員はバイタルサインを測定し、看護師に連絡。バイタルサインにとくに異常が見られなかったため、看護師は経過観察を指示した。
その後、Aさんは就寝。1時間おきに職員が様子を確認したが、就寝を続けていた。
◆入所2日め
一貫して、バイタルサインに異常なし。食事の量は少ないものの、自分でトイレに行ったりベッドに座ったりしていた。
往診に来た施設提携の医師は、バイタルサインの数値に問題がなく、嘔吐後の体調が安定してしていることから、急性胃炎の疑いがあると診断。体内での出血は疑わなかった。
Aさんは、食事の量は少ないものの、処方された薬をのんで就寝した。
◆入所3日め
午前4時45分にナースコールがあり、介護職員がAさんの居室へ向かった。Aさんは嘔吐しており、口から首まわりにかけてチョコレート色の嘔吐物が付着。ラバーシーツにも染み込んでいた。
Aさんは職員の声がけに反応し、意識障害はなかった。自力で車椅子に移り、吐き気が継続する様子はなかった。また、嘔吐後のバイタルサインの数値も、体調の急激な変化をうかがわせるものではなかった。その後、衣服を着替え、朝食のために車椅子でリビングに移動するなどしていた。
看護師は脱水の可能性を考え、病歴等を把握している主治医の診察を受けさせることを検討したが、家族は海外旅行中であり、ケアマネジャーが対応できるのも翌日だった。
午前11時20分ごろ、ナースコールがあり、職員がAさんの居室へ。トイレに行くために手すりをつかんで立ってもらおうとしたところ、口や鼻から暗褐色の嘔吐物が多量に出て、白目を浮かべる状態になった。病院に救急搬送したが、病院到着前に心肺停止状態だった。
Aさんの遺族は、①入所3日めの午前4時45分に嘔吐が見られた時点ですぐに救急搬送を要請すべきだった、②入所3日め、施設提携の医院が開院する午前9時に提携医師の診察を受けさせるべきだった、と主張した。
裁判所の判断
◆上記①について
Aさんの意識状態やバイタルサインの数値等に照らせば、入所3日めの午前4時45分の時点で、直ちに救急搬送を要請して医療機関における治療を受けさせなければならなかったとは言えない。
◆上記②について
午前4時45分に嘔吐した後から午前9時頃まで、Aさんの全身状態に顕著な悪化の傾向が見られなかった。このことから、まずは主治医の診察を受けさせようとした看護士の判断に、注意義務(その行為をする際に一定の注意をしなければならない法律上の義務)違反または契約上の義務違反は認められない。
パンの誤嚥による後遺症

東京地裁 平成29年3月28日 判決
だれがだれを訴えた?
原告(訴えた側) Aさん
被告(訴えられた側) 介護老人保健施設X
裁判の結果はどうなった?
判決(裁判所の最終判断)
介護老人保健施設Xが、Aさんに総額4054万7146円の賠償を支払う。
事故当時の原告の状態
Aさん 男性・79歳
・噛む力や飲み込む力が弱まっていた。
事故の経緯
・ショートステイで施設を利用。
・家族からは、主食、副食ともにひと口大にして食べさせてほしいと求められていた。
・食事中にむせ、口内吸引を行ってのどに詰まっていたたんなどを取り除いたが、その後、体調が急変して心肺停止。
事故後の原告の状態
・喉からパンのかたまりが取り除かれた。
・心臓マッサージなどによって呼吸・心拍が回復したが、意識は回復しなかった。
・自賠法施行令別表第1の第1級1号(神経系統の機能又は精神上著しい障害を残し、常に介護を要するもの)の後遺障害が残った。
判決の内容
事故の状況は……
◆入所前
介護支援専門員によるヒアリングの際、Aさんは噛み切る力や飲み込む力が弱まっており、誤嚥を起こしやすいことを伝えられていた。
また、自宅での食事の際は、主食はひと口大のおにぎりや小さくちぎったパン、副食もひと口大に切って食べさせており、施設でも同様にしてほしい、と求められていた。
◆入所1日め
入所日に作成された食事箋には、①~③の指示があった。
①食種=一般職
②主食=米飯おにぎり。形態はひと口大
③備考=おにぎりを10個に分けてください
アセスメントシートには、嚥下について、あごの力が弱まっており、ため込むような食べ方をすること、水分でむせることがあるため見守りが必要、との記載があった。
短期入所連絡票にも、ときどき水分でむせることがあり、誤嚥に注意してほしいと書かれていた。
昼食、夕食には、小さく切ったものが提供された。
◆入所2日め
午前8時に朝食開始。ロールパン(6~7cm )2個、牛乳200mlパック、具入り卵焼き(石垣焼)、オニオンスープが提供された。
午前8時15分~20分頃、鼻から牛乳を出してむせているAさんを職員が発見し、食事を中止した。その時点で、ロールパン1個、牛乳、卵焼き及びオニオンスープの各半分を食べていた。
口腔ケアとトイレを済ませ、午前9時10分頃居室に戻った。そのときAさんののどが「ゴロゴロ」と鳴っており、さらに「ゼーゼー」「ゼロゼロ」と言い出したので、付き添っていた職員が、施設長(医師)を呼んだ。体温と経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定したところ、体温37.7度、SpO2は86~88%だった。
SpO2の値が低いため、施設長(医師)が口内吸引を行ったところ、牛乳の混ざった痰及び少量の食べもののかすが取り除かれた。この後、のどの音はしなくなり、SpO2は91~92%に上昇した。
体温は37.7度のままだったため、9時20分頃、氷枕をとりに行くために職員が部屋を出た。9時30分までに看護師が様子を見に行ったところ、Aさんの容態が急変していたため、施設長(医師)を呼んだ。施設長(医師)がかけつけたとき、すでにAさんにはチアノーゼが見られ、心肺停止の状態になっていた。
施設長(医師)が気管挿管を行ったところ、のどから5cmのパンのかたまりが取り除かれた。心臓マッサージによって心拍が再開し、呼吸も回復したが、意識は回復しなかった。
裁判所の判断
裁判所はまず、誤嚥について以下の3点を確認した。
・誤嚥直後に咳き込みなどがあっても、異物が一定の部位に収まると無症状となる場合がある。症状が重く見えない場合でも、異物が移動すれば、突然、気道が完全にふさがれる危険がある。
・症状がないからといって、誤嚥を簡単に考えることはできない。異物が移動して気道がふさがることがないよう、患者の移動や搬送は慎重に行う必要がある。
・パンはパサパサしており、ひと口分が大きくなりがちなため、嚥下障害のある人にとって食べにくく、飲み込みにくい。危険性のある食べ物だと指摘されているうえ、実際にパンを原因とする窒息事故が多く発生している。
そのうえで、Aさんの事故の経緯について①~③のように認定した。
①Aさんは食事中に誤嚥を起こし、気道が不完全にふさがった状態になった。
②吸引によって、誤嚥したものの一部が取り除かれ、SpO2の改善が見られた。
③その後、誤嚥したパンのかたまりが移動し、気道をほぼ完全にふさいだことで窒息が生じた。
介護施設Xは、誤嚥のリスクを認識していたのだから、飲み込みやすい食べ物を選んで提供するべきだった。
パンの場合、小さくちぎって提供するべき義務があったが、それに反してロールパンをそのまま提供した。
Aさんはパンのかたまりが気道をふさいだために窒息を起こしたのであり、介護施設Xには、事故の発生についての責任がある。