介護事故裁判例集

弁護士による介護事故裁判例の紹介

別の利用者の過失による転倒事故


原審 前橋地方裁判所高崎支部 平成27年7月31日判決

控訴審 東京高等裁判所 平成28年6月9日判決

 

だれがだれを訴えた?

原告(訴えた側)   施設利用者Aさん

被告(訴えられた側) 介護施設X 

裁判の結果はどうなった?

判決(裁判所の最終判断) 
 介護施設Xが、Aさんに下記の金額を支払う。

後遺障害慰謝料 800万円

損害賠償(自費診療による入院診療費) 618万3554円

将来の介護費用 1258万9129円

弁護士費用 285万円

 → 合計 2677万2968円

事故当時の原告の状態

Aさん 女性・91歳 

・要介護4

・老人性精神病、認知症と診断されている。

・要介護認定のための調査票には下記のように記載されていた。

 歩行 

  = 四肢の麻痺、拘縮はないができない。徘徊もなし。

 移動、排尿、排便、爪切り、口腔清潔、洗顔、整髪 

  = 全介助が必要。

 食事 

  = 見守りが必要。

 寝返り、起き上がり、立位保持、立ち上がり

  = 何かにつかまれば可能。

 意志の伝達 

  = ときどき可能。

 日常の意思決定 

  = 特別な場合を除いて可能。

 日課の理解、直前の行動を思い出すこと、現在の季節や

 自分がいる場所を理解すること 

  = できない。

事故の経緯

・入所していた老健での食事中、Aさんの向かい側に座った入所者が

 テーブルを押した。

・座っていたAさんはテーブルに押され、椅子ごと後ろに転倒した。

事故後の原告の状態

・頭を打ち、8カ月間入院。下記のような状態で治療が終了した。

 全身症状 

  = ひとりでできるものはまったくなく、全介助が必要。

    脳挫傷婚、脳梗塞の状態から考えて回復は困難。

 日常動作など 

  = 脳損傷による高度の片麻痺失語症を合併。

  →用廃に準ずる(片側の関節の可動域が健康な側の半分以下になる

   程度の状態)四肢麻痺、構音障害(口や舌、声帯などの障害のた

   めにうまく発声できなくなった状態)により、日常生活において

   身の回りのことを自分で行うことができない。

  精神症状 

  = 高度の「認知症」、情意の荒廃(感情や意欲が乏しくなる

    状態)等の症状により、常時看視を要する。

⇒事故後のAさんの状態は、自賠責保険における後遺障害等級別表1の

 第1級1号(神経系統の機能又は精神に著しい傷害を残し、常に介護

 を要するもの)に該当する。

判決の内容

事故の状況に基づく裁判所の判断

施設側は事故当時の状況について①②のように主張したが、裁判所ではそれぞれについて下記のように判断された。

①押された際、Aさんがテーブルを押し返したから背後に転倒した。

→過失相殺(被害者側にも過失がある場合、過失の大きさに応じて賠償額を減額すること)による減額が認められるべき。

 <裁判所の判断>

 仮に押し返した事実があったとしても、テーブルをはさんで向かい合って座っていた相手からテーブルを押された際にこれを押し返すことは、一般に、人としての本能的な防御行動であると解するのが相当と考えられる。したがって、Aさんに過失があったはいえず、過失相殺すべきでない

 

②Aさん自身が認知症であり、危険を招く不合理な行為をしてしまうことが事故の原因 となった。

→素因減額(被害者自身の病気や心身の特性が事故の発生や損害の拡大に関わっている場合に賠償額を減額すること)が認められるべき。

 <裁判所の判断>

上記①を「認知症に基づく不合理な行為」と捉えて素因減額をすべきではない。

 

賠償額を決める際の考え方

 事故以前のAさんは、加齢や認知症による困難さは伴うものの、一定の意思の疎通ができた。また、加齢や認知症により多くの行為につき全介助が必要ではあったものの、一定の行為も可能だった。

 しかし入所した介護施設Xでの事故により、事故以前にできた意志の疎通や行為がすべてひとりではできなくなった。さらに「事故前にまったく障害がなかった場合」と「障害があった場合」に同じ後遺障害が残ったことを想定すると、障害によって生ずる精神的苦痛には、当然違いが出てくる。Aさんの年齢や事故以前の障害の程度、生活状況等の事情を総合的に考慮すると、後遺障害慰謝料は800万円が相当と判断した。

 後遺障害慰謝料に加え、入院診療費(自費診療)として、事故発生日から症状固定日(治療を続けても改善が見込めないとして治療を終了した日)までの合計618万3554円の損害賠償を認めた。

 

将来の介護費用額を決める際の考え方

 Aさんは、高齢で認知症のために自宅での生活が困難であるとして介護施設に入所していたので、将来の介護費用も施設入所を前提として算出するべき。ただしAさんは、事故が起こる前に要介護4の認定を受けて介護保険を利用していた。要介護4の利用者としての月額利用料は、事故が発生していなくてもAさんが負担するべき費用であるため、将来の介護費用から差し引く。

 このケースでは、症状固定後も介護保険の適用申請をしていない。そのため、介護保険を適用せずに要介護5の介護を受ける場合の個室月額利用料から、要介護4の介護保険を適用して介護を受ける場合の個室月額利用料の差額を算出し、その金額を基準として平均余命分となる1258万9129円を将来の介護費用として認めた。また、Aさん側の弁護士費用として285万円を認めた。